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吸血鬼の品格(仮)1  

前のプロローグだけだった奴の一章。
予定では4万くらいの中編になる予定。
相変わらず推敲が甘い
***



「ねえ、怪物が怪物たる条件を教えてあげようか?」

 覗く口蓋は朱に染まり、冷えた空気に吐息が白くたなびく。

「それはね。未知であること。おおよそ一般的なヒトに知られていないこと。そう常識でないこと。だからこその怪物なんだよ」

 伸びた犬歯が青白い街灯に照らされ妖しく光る。

「そしてね、もうひとつ」

 息とも声とも判断つかぬ唸りが喉の奥からまろびでている。

「怪物はヒトを襲うんだ」

 肉が千切れる音が悲鳴を塞き止め、血が夜を染めた。

***

 光の無い世界とはどういった感触を持つのだろうか。
 音の無い世界とはどういった感触を持つのだろうか。
 たぶん、胸を裂く不安と、気が狂うほどの不確かさ。そして未知に溢れ、倒錯的な興奮に彩られた世界。
 その片鱗――暗闇と静寂――に沈む自室にて、南部優は想像の世界に思いを馳せた。

 勤め先の雑居ビル地下に作られた書庫。そのひとつを住居として借りている南部にとって暗闇や静寂は友達のようなものであった。
 部屋にある物といえばソファとテーブルにガスランタン。それとうず高く積まれた無数の蔵書。利便さや娯楽を提供してくれる家電の類いは一切無い。
 勤務時間は日が暮れてから朝方までであり、外出の類いは食料品の買い出し以外あまりしない。
 元より明るく騒がしい場所が苦手な南部にとって今の生活は天国のようなものであった。

 この日、昼過ぎに目を覚ました南部は何をするでもなく妄想の世界に引きこもっていた。
 浮かんでは消える思考を弄び、現れる世界に足を延ばしては逃避する。
 仕事の時間までそうやって暇を潰すつもりであった。
 まだ学生を終えたばかりの青年としては些か活力に欠けている。そう南部自身も自覚するところではある。が、若さを漲らせ外へ飛び出していく自分を想像できないのもまた事実。南部優はそういう青年なのだ。とも自覚していた。
 暗く静かな安息の地で。傍から見れば無気力に、本人からすれば割合真剣に、南部はソファに横たわりただただ自らの思考の世界に浸り続けていた。

「起きているのかい?」

 甘く気だるくどこかえぐみを持つような音程。しわ枯れた少女の声帯から発せられた、とでも言うべき声が静寂を破り南部の耳朶を叩いた。
 あて先はたぶん南部であろう。しかし彼はその問いに応えることなく、黙ったままソファに寝転がり続ける。

「狸寝入りはやめたまえ。山と聞かれれば川と返したまえ。もちろん金と聞かれれば金とね」
「……意味が分からないです」
「合言葉には正しく答えよ。私が『起きているか?』と聞けばキミはもし寝ていたとしても『起きている』と答えなければならない。ということだよ」
「……起きています」
「よろしい」

 “彼女”は満足げに頷いているのだろう。そう思い、南部は瞼を開け視界を巡らせた。
 既に暗闇に明順応していた瞳が部屋の中央に鎮座する声の主を捉える。そして南部はその現実感の無さに首を振った。
 確かに彼女は南部の予想通りに部屋の中央に居座っている。より正確に表現するならば部屋の中央、天井に、だ。
 そう、まるで重力がそこだけ裏返ってしまったかのように、上下さかさま、天地がひっくり返って、天井に見目麗しい少女が胡坐をかいていた。

「心臓に悪いので止めてもらえませんか? それ」
「それ、とはどれだい? 指示語は分かりやすく前後関係をはっきりとさせて使いたまえ」

 南部がソファから体を起こしながら指摘をすれば、片眉を上げながら少女はその指摘を受け流す。

「……それ――天井に張り付くのは心臓に悪いので止めてもらえませんか?」
「張り付く、という物言いは正しくないよ。私は“天井に座っている”のだ。張り付くでは虫か小型の爬虫類のように揶揄されているようで不愉快だ。謝罪を要求するよ。謝りたまえ」
「……ごめんなさい」
「よろしい」

 満足げに頷いている少女を見ながら、南部はこっそりと溜め息を吐いた。

「それで、何か僕に用ですか?」
「うん?」

 質問の意図がわからない。表情でそう示し、キョトンとしながら少女は首を傾げた。

「いや、起きてるのかって聞いたじゃないですか? 何か僕に用事があったんじゃないんですか?」
「ああ、そうそう。そうだった。歳を取ると物忘れが多くて困るね」

 「歳を取った」という物言いが非常に不釣り合いな少女。彼女は“天井に立ち上がり”右腕を真上に上げ――つまり床へと垂直に右腕を向け――細い人差し指をピンと立てた。

「そこの本。取ってくれるかな。これの続きだ」

 よくよく南部が目を凝らせば、少女は左手に厚いハードカバーの本を持っている。南部が妄想に耽る最中、少女はひとり天井で本を読んでいたのだろう。だとしたら頁をめくる音すらしないとても静かな読書だった。と南部はどうでもいいことに感心をした。
 そして手持ちの一冊を読み終わったのはいいが、続きは床の上。そこで天井から動くのが億劫な少女は南部を起こし本を取らせようとしたのだ。それこそ小間使いに些事を頼む気軽さで。
 迷惑極まりない話であり、それならば最初から床の上に居ればいいのに、と南部は心の中でだけ文句を言うことにする。

「うっ……。明かりを点けるときには一言言いたまえ」

 せめてもの抵抗――嫌がらせともいう――にと予告なくランタンに火を入れ、そのあまりの眩しさに南部自身も目を背けた。闇に慣れた瞳に強い炎の揺らめきは毒だ。
 「まったく仕方ない奴だ」とぶつぶつ呟く少女に近づき、南部は本のタイトルは何か確認しようとハードカバーの背表紙を見やる。

「えーと『伝承の中の怪物・西洋編』」

 金メッキの装飾に輝く文字を読み上げ、南部は口元を歪めた。

「あー何かの冗談ですか?」
「うん? 何がだい?」
「いや、わざわざそんなもの読まなくても――」

 真正面に位置した、逆さの少女の顔をまじまじと見た後に、万感の思いを込めて南部は口を開く。

「あなたは吸血鬼じゃないですか」

 南部の言葉に彼女こと吸血鬼、葛西那由多は「まあね」とほほ笑んだ。


【吸血鬼の品格(仮)】~怪物の条件~


 有無を言わせずに床に正座させられた南部は、黙って耳を傾ける。

「いいかい南部? つまり古今東西津々浦々、怪物とはヒトが作りだした幻想でしかないのだよ」

 天井に立ち腕を組みながら、そう那由多は講釈を始めた。
 外見は十代の半ば。肩口で切られた黒髪と青白い肌のコントラストが幽鬼めき、おおよそ絶世の美少女と言って差し支えない美貌は不気味に、そして蠱惑的な魅力へと変貌している。簡素なジーンズとパーカーに身を包んだ彼女は、しかし間違いなく世間一般で言うところの吸血鬼である。
 那由多と出会ってまだ三か月を数えるところの南部であるが、そのことは嫌というほど思い知っている。
 だからこそ、「怪物とは幻想でしかない」という那由多の言に違和感を覚えた。

「幻想、でしかないのだとしたら、あなたの存在はどう説明をすればいいんですか? あいにく僕は天井に立つことができる知り合いに心当たりがありません」
「南部。性急な男はモテないぞ。というか話の腰を折るな」

 眉をひそめながらぴしゃりと言い放つ那由多に南部は「すみません」と素直に謝った。

「えーと、何だったか……。そう、幻想だという話だったな。なにも存在自体がまやかしだと言いたいわけではないよ。大事なのは“人が作りだした幻想”という部分だ。そもそもだよ、俗世で云われる“怪物”とはヒトの主観でしかなく、実際のところ特別な存在ではない。普遍的な生物の形態や現象のひとつでしかない場合がほとんどだ」

 那由多の口ぶりが加速し饒舌になるにつれ、エンジンが掛かりだした、と南部は感じた。長くなるだろうか。そう彼は時間を気にする。

「そしてそれはワタシのような吸血鬼でも“そう”だと言える。確かにヒトからすれば吸血鬼という形質は異端だろうね。ヒトと同じ外見をし、似偏った生態をしながら、超常だと言われてしまうような力を持つ。キミが言うところの天井に立つに代表されるようなね」

 「ちなみにこれは壁歩き――ウォールウォーカーと呼ばれる」と言いながら那由多は天井から横壁へと足を運び床と水平になり歩を進める。
 逆さから横向きになった那由多を目で追いながら南部は適当な相槌を打つ。

「しかし、いくらヒトから見て異端で超常であろうと、それは確かにこの地球上に存在しているのだよ。ただ希少だというだけでね。そして希少だということは未知と同義になりやすい。もちろんヒトが発見し確認することは難しい。という意味でだよ。ヒトが云う怪物とは、そういった希少、未知に対する俗称であり、ヒトが作りだしたイメージ、幻想でしかないのだよ」
「……はあ?」

 分かったような分からないような。曖昧な返事をするとともに南部は首を傾げた。しかし那由多は南部の関心の薄さを気にも留めず話を続ける。

「そこで、いわゆる怪物側である我々は逆にその幻想を利用することにした」
「利用ですか」
「そう、利用。意図的に怪物のイメージというものを流布することでヒトがどういったものを怪物だと認識するのかを操ろうとしたのだよ。印象操作というのかな。例えば吸血鬼は太陽の光を苦手とする。流水を渡れない。銀を苦手とする。これらは涙ぐましい同胞たちの演技や積極的に噂を流すことで作りだした虚構の吸血鬼像だ。“銀であれば致命傷を与えられる”とヒトに吸血鬼にも弱点があるという安心感を与えると共に、“日光の下に居る者は吸血鬼ではない”と思わせるためにね」
「なるほど、情報戦ですね」

 相変わらず気の無い態度で相槌を打つ南部。彼にとって化物だの吸血鬼だのそういった話題より、そろそろ仕事の時間であることの方が重要だった。
 しかし那由多はそわそわし出した南部などお構いなしに話を続ける。

「そして果ては吸血鬼という存在自体を幻想だと流布してきた。埋葬事故で蘇生した人間や黒死病の蔓延が作りだしたおとぎ話だとね。吸血鬼などこの世には存在しない。ヒトにそう思わせられれば我々は好き勝手に吸血鬼を謳歌できるからね。しかしね、こういったヒトの幻想を利用するためにはその時代にある怪物像を調べなければならないのだよ。昔より怪物はより幻想に近づいているけどね、だからといって安心は出来ない。何故ならいつまでたってもヒトにとって異端や未知は恐怖であり、淘汰される対象になってしまうからだ」

 南部に拾わせたハードカバー『伝承の中の怪物・東洋編』を掲げながら那由多はそう締めくくった。
 早い話が、自分たちがどう思われているのかを書籍から探っていた訳であり、何も経緯まで話さなくてもいいのに。そう南部は身も蓋もない感想を抱く。
 そして――

「……それで、何でそんな話を僕に?」
「うん? そりゃあキミ。キミがワタシの下僕だからだろう。下僕たる者主人を知れ。基本だよ」

 ――思い出したくもない現実を突きつけられることになるのだった。

***

 南部優は吸血鬼葛西那由多の下僕である。確かにそれは否定したくても出来ない現実である。
 三か月前。紆余曲折の七転八倒。偶然に偶然が重なり、棺で長い眠りについていた葛西那由多を起こしてしまった南部優。巷を騒がせた『黄龍グランドビル爆破事件』に巻き込まれ、気が付けば下僕として那由多に認識され、あろうことかそれに甘んじることになってしまった。そして極めつけに自室に居候させることを確約してしまったのである。齢数百年を軽く超えると豪語する吸血鬼であるとはいえ、見た目は完全無欠に年端もいかない少女でしかない。そんな那由多に毎日アゴで使われる生活とは何とも情けないものである。
 ――そう自分の現状を改めて認識し、溜め息を吐きながら南部は階段を登っていた。
 階段は南部が寝起きしている書庫やその向かいにある倉庫と地上を繋ぐ狭い内階段であり、コンクリート打ちっ放しの素気ない作りをしている。
 階段を登り切り地上に出る。まず初めに南部を迎えたのは初夏の肌をくすぐるような熱気。そこは背の低い雑居ビルが立ち並ぶ寂れた商店街の一角に位置する、これまた寂れた二階建てのビルの表であった。
 『古美術常世堂』。それが南部の務めている職場の名前である。
 貴重な品からガラクタまで。店主が趣味で集めた世界中の美術品を高いのだか安いのだか分からない値段で客に売り付ける。“今風”に言うならばアンティークショップ、ということになる。
 洒落た――しかし古ぼけた――ステンドグラスで装飾されたドアを開き、南部は店の中に入った。

「いらっしゃ――あ、南部さん。おはようございます」

 時刻は夜七時を回ったところ。この時間帯に「おはようございます」と挨拶をするのは不思議な気分である。が、南部の生活を鑑みれば「おはよう」を言うタイミングであるのも確か。

「おはようございます。小百合さん」

 精一杯の笑顔で――口元が引き攣ったのはご愛嬌――南部は挨拶を返した。
 珍妙奇妙奇天烈奇々怪々な商品が整然と並び逆に混沌空間と化している店内において、一種の聖域となっている。と南部が勝手に評しているもうひとりの従業員、東城小百合の笑顔がそこにあったかである。

「朝ごはん上に出来ていますよ。私はもう食べちゃたんですけど、よろしければどうぞ」
「あ、ありがとうございます。すいません店長が居ないときまで」
「いえいえ。料理は好きなんです」

 柔和という表現が正にぴったりな微笑を浮かべ、小百合は会計席の後ろ、店舗の二階へと続く扉を開けた。

 どこかふわふわとした雰囲気と落ち着いた美貌を持つ東城小百合は南部より二歳年下であり現在十九歳。「定休日以外は二十四時間開店し続ける」という謎の戒律を持つ――店主の偏屈さの表れだと南部は思っている――常世堂の昼の接客を担当している。社員扱いの南部とは違い彼女はバイトであり、終業の後は夢である舞台女優を目指して小さな劇団で稽古に励むというとても健気なエピソードを持つ。普段人付き合いに疎い南部であろうと応援したくなる頑張り屋であった。
 ちなみに常世堂店主や夜の接客を担当する南部のために朝食――小百合にすれば夕食――を準備してくれる、南部からすれば女神のような存在でもある。

「じゃあ、ありがたくいただいてきます。もう少しだけ店の方お願いします」
「はい。ごゆっくりどうぞ」
「ちなみに今日のおかずは何だい?」

 南部の驚いてけつまずいた音と小百合の小さな悲鳴が重なった。

「何をしているのだ南部? 睡眠が足りなかったか? だとしても床で寝るのはどうかと思うよ?」

 床から起き上がり膝の埃を払いながら南部は後ろを振り返る。そこにはにんまりと意地の悪い笑みを浮かべる那由多の姿があった。

「那由多さん。頼むから気配を消しながら突然話しかけないでもらえます? 心臓に悪いんで」
「注文の多い奴だ。それにあれもこれも心臓に悪い悪い、キミは心臓に疾患でも持っているのか?」
「いえ、別に病は無いですが」

 素でそう話す南部を見て、やれやれと那由多は首を振った。

「――南部。そういう時は『恋の病に落ちている』くらいの冗談のひとつでも言って見せるところだ。前々から思っていたのだが、キミの会話には遊びが足りない。そうは思わないか東城」
「え?! えっと……」

 急に話を振られ困惑する小百合。彼女も那由多の身の上を知ってはいるが、南部ほど吸血鬼という奇怪な存在に慣れていないのも確か。
 南部は小百合にごめんなさいと手で合図をしてから那由多に向き直る。

「はいはい。小言は後で聞きますから先に飯にしましょう。那由多さんも食べるんでしょ?」
「もちろん。日々の食事は健全な生活には必要不可欠だからね。衣食住足りてこその人生だ」

 「別に食べなくても死なないくせに」と小声で呟いた南部の足を踏みつけ、那由多は店舗二階へと消えていく。
 その居候とは思えないマイペースで鷹揚な態度に苦々しいものを感じつつ、南部は小百合の手前つま先の痛みに耐えるしかなかった。

***

「それじゃあ僕は小百合さんを駅へ送ってきますんで。少しの間店番お願いしますね」
「まったく、主人を何だと思っているのだか。躾が足りていないな。ワタシがまだ一国一城の主だった頃はこんな不作法な下僕などいなかったというのに」
「お願いしますね?!」
「分かった分かった。いいからさっさと行ってきたまえ」

 朝食を食べ終わった南部はぶつぶつと文句を垂れ流す那由多に店を任せ、小百合を駅に送ることにする。特別治安が悪い地区でないが、人通りが少ないために婦女子のひとりでの夜歩きは不安である。
 特に小百合は十人中十人が可愛と認めるのだから。そう贔屓目な感覚でものを考えながら南部は常世堂の扉に手を掛ける。

「南部」

 会計席に深く座り、深い声音で名を呼ぶ那由多。その声に南部は歩を止めた。

「ついでにプリンを買ってきたまえ。コンビニでいいが、少し高めのやつだ」

 外見と一致した那由多の発言に、南部は微笑ましいものを感じながら「わかりました」と返事をした。

 外の空気はやはり初夏独特のむっとした熱気で占められていた。

「ありがとうございます。毎日毎日送っていただいて」
「ああいえ、当然のことですよ。じゃあ行きましょうか」

 殊勝に礼を告げる小百合は日々の清涼剤的癒しである。勇みながら南部は小百合を連れ歩き出す。駅まではほんの五分ほどであるが、シャッターが降り切った商店街は不気味なほど静まり返っており、人の気配も無い。一応は県下有数の大都市だが、所詮地方都市。それも近くに出来たショッピングモールに押され続けているとなればこんなものなのである。

「でもホント助かります。近頃この近くで殺人事件が起きたらしいので。私この道歩くの少し怖くて」

 辺りを見回しながら恐々と小百合が話す。それを聞き南部は首を傾げた。

「殺人事件? そんなことがあったんですか?」
「ええ。そういう話ですけど。知らないんですか? 南部さん」
「まったくの初耳です」

 南部の記憶の限りでは、ここは基本的に実に日本らしい平和な街だ。それこそ大きな事件など先にあった『黄龍グランドビル爆破事件』のみで、それだってかなり特殊な事情の元で起きた事件である。ただ本当に何も事件が起きない程に平和なのかと問われれば、そこは分からないと答えるしか南部には出来ないが。

「五丁目の川縁に小さなホテルがありますよね? その裏路地で会社員の方が亡くなっていたらしくて。首筋を噛み切られていたらしいです」
「噛み切られていた?」

 嫌悪感も露わに告げる小百合に南部はオウム返しで応える。

「はい。人の歯形だったらしいです」
「……それはまた。猟奇殺人ってやつですか」
「怖いですよね」

 身を竦める小百合に庇護欲を刺激されながらも、南部は別の事を考えていた。首筋に歯形。どうにも聞いたことがある、というよりは見知っている存在の仕業として有名な、人の殺害方法だ。

「でもまさかな……」

 半信半疑に小さく呟きながら、南部の頭の中には様々な想像が膨らみ続ける。

 ――血に濡れた那由多の姿がリフレインする。

 南部が頭を振り好ましくない思考を頭の中から追い払ったのと駅に到着したのは同時だった。

「それじゃ南部さんお疲れ様でした。お先に失礼しますね」
「うん。お疲れ様です。稽古頑張ってください」
「はい。ありがとうございます」

 陽だまりのような暖かい笑顔で「がんばりますよー」と胸の前で小さなファイティングポーズを作った小百合。その姿に軽く見惚れながら南部は手を振る。
 後ろを振り返り、手を振りながら小百合は駅構内へと消えて行った

「殺人事件、ね……」

 モヤモヤとしたものを胸の中に感じながらも、「取りあえずプリンだな」と南部はコンビニに向かうことにした。

***

 常世堂に戻った南部が始めに視界に捉えたのは黒服の男だった。
 夏もすぐそこまで来ているという時節になんと暑苦しいのだろうと顔をしかめるしかない。それほど完全無欠にダークスーツをキッチリと着揃えた男だった。

「えと、いらっしゃいませ?」

 恐る恐る挨拶をしたのは客というには雰囲気が不釣り合いすぎるから。そしてその南部の予想は外れてはいなかったらしい。

「放っておけ南部。キミは気にすることは無いよ」
「え? いや、でも……」

 那由多が忌々しげに吐き捨てると南部はさらに困るしかない。客だろうと客じゃなかろうと、店の真ん中で棒立ちされていては落ち着かない。というより気味が悪い。

「いいからこっちへ来たまえ」

 鋭い視線と、重い那由多の言葉に尋常ならざるものを感じた南部は大人しく那由多が座る会計椅子の後ろに回る。正面から見たダークスーツの男は整えられたオールバックと引き締められた無表情がとても印象的だった。

「それで、元老の犬。この葛西那由多に何の用だい?」

 人にはその正体が何なのか分からない、肌を打つような威厳と滲み出る狂気が那由多の声には込められていた。

「率直に申し上げましょう。先日この街で殺人事件が起きました」
「……殺人事件?」

 険しい表情はそのままに、訝しげに息を吐く那由多。一応は彼女の下僕である南部は――もちろん雰囲気に流されて――小百合から聞いた猟奇殺人事件のあらましを耳打ちする。

「なるほどね。それで?」

 ダークスーツの男が返事をする前に南部は口を挟む。

「あの、二階の応接室で話しませんか? 何だかよく分からないけど、お客さんが来るとマズイんですけど――」
「南部。キミ、吸血鬼を容易く家の中にまで招くものではないよ。吸血鬼はヒトに不必要に存在を晒さないために、許可なく他者の家を侵すことなかれという自戒を持つのだよ。それが破られたら最後、どこまでもつけ上がり好き勝手に上がり込んでくるぞ」

 「特にこういう矜持を持たない奴らはね」と付け加えた那由多に南部は口を閉じた。
 そしてまじまじとダークスーツの男を見る。薄々は感付いていたが、やはり彼は吸血鬼らしい。

「酷い誤解だ。私どもは由緒正しき吸血鬼の集会、元老院の血筋。そのような不作法は犯しますまい」
「いいから用件だけを言いたまえ」

 侮辱にも顔色一つ変えずに反論する男を那由多は苛立ちを隠さず静かに怒鳴りつける。

「では。私どもは犯行の行状からその殺人事件の犯人が吸血鬼、より正確に言うならば貴女ではないかと疑っています」
「……何?」

 那由多の声が暗く沈む。ゆっくりと南部は彼女から距離を置いた。

「貴女は眠りから覚めて間もない。血に酔って狩りを行ったという可能性もあると私どもは考えて――」

 男が口に出来たのはそこまでであった。
 見えない手に持ち上げられ、押し潰される。かなりの長身である男の身体が軽々と宙を舞い、猛烈な音を立てて天井に激突した。

「元老の小僧どもが。那由多の名をそうも軽く見るか。血族郎党に至るまで八つ裂きにしてくれようか?」

 地獄の窯から吹き出してくる風だと言われれば誰もが信じるだろう。身の毛がよだつほどに悍ましく、正に化物だと感じさせる雑音を孕んだ那由多の声。その声が物語っていた。彼女が怒っているのだと。

「そう仰るならば犯人を見つけ、身の潔白を示してください。この街の夜の主であるならば責任を果たして――」

 謎の重力に潰されながらも言葉をどうにかひり出していた男の喉が鈍い音を立てて潰れた。
 そして急に重力は絶ち消え、男は地面へと落下した。咳き込みながらも男は立ち上がる。体中の骨が音を立てたがそれもすぐに無くなる。壊された肉体が見ている端から再生していく。吸血鬼の持つ驚異的な治癒能力であった。

「責は果たす。そう小僧どもに伝えるがいい」

 そう吐き捨てた那由多。男はスーツを直し、一度深々と礼をした。

「確かに。闇は闇に」
「……血は血に」

 吸血鬼流の挨拶なのだろう。儀礼めいた言葉の応酬を――那由多は嫌々ながらも――交わし、男は気配を消し店から去った。

「面白くない。実に面白くない。何故このワタシが不穏分子の狩り出しなどせねばならないのだ」

 怒りが治まらないらしく、鼻息荒く独り言を吐く。触らぬ神に祟りなしだとそんな那由多から更に遠ざかろうとしていた南部は、ぐるりと那由多が顔を巡らせたことで、その漆黒の双眸に捉えられ固まる。

「キミ、言い付けたプリンはどうしたのだい?」
「あ、ここにあります」

 コンビニの袋を那由多に渡し、出来ればそのままどこかに逃げてしまいたいなと思う南部。しかし世の中そう甘くはなかった。

「南部。キミその猟奇殺人のことについて少し調べたまえ。元老はその猟奇性だけで吸血鬼の仕業だと疑っているようだけどね、そんなこと分かりはしないよ。まずは状況を知らねば始まらない」

 三百円くらいするコンビニのプリンをいそいそと開封しながら那由多は無茶苦茶な注文をした。
 もちろん、下僕であるところの南部に拒否する権利は無かった。

つづく
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